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コイヌールとはペルシャ語で『光の山』と言う意味らしい。
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石舞台古墳。

でっかい石がおいてあることは知っていたんだけど、なんのためにあるのかなーぐらいに思ってた。

行ってみてよかったことは、そこでガイドさんみたいな人の話を聞くと、どうやら蘇我馬子の墓だと言われているらしいことがわかったこと!!!

いやはや、これを聞いてものすごく元気が出てきたよ。(人のお墓と知って元気が出るってなんか変だけど、すごく興味がわいてきたの。)

暑くて、本当に死にそうなぐらい暑くて。。。。だけど、「あの馬子のお墓?!」ってすごい興味がわいてしまった。



最初は、本当になんにも知らないからこれが舞台で、巫女さんでもこの上で踊ってたのかと本気で思ってたwwww(あほすぎる)

実際、中を見たらお墓っぽい形なんだけどね。



石室とかそんな感じに見えませんか?(まぁ、ただ、とにかくでっかいです。)



内部です。実際は薄暗いです。(当たり前ですが)これは、写真をフラッシュなしで撮ったので、明るく見えてます。

結構大きいです。

歴史で名前をよく聞く人のお墓だったなんて・・・・。

そう言う遺跡が残ってるなんてすごいなーって思いました。
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馬子
蘇我馬子は、有名ですよね。
そんなに古い時代のお墓が残っているなんて、
すごいことですね。
教科書に出てきた「大化の改新」の写真が
古墳と似てる気がしたのだけど、
これとは違うのかな。
いがり 2013/07/27(Sat)22:34:55 編集
有名ですー
すごいよね。
600年代って古過ぎなのに、残ってるところがすごい。

大化の改新の頃には、蘇我馬子は生きてなかったと思います。
蘇我入鹿(蘇我馬子の孫)が、大化の改新で殺されたので。
(その時、蘇我入鹿の父:蘇我蝦夷も自殺したように思います。)
もしかすると、蘇我馬子は、聖徳太子や推古天皇の時代の大臣なので、その関係のページに載ってたのかもしれないですね。
【2013/07/28 13:31】
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